医者が2030年にサイドFIREするブログ(2022年度から日曜更新)

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【第17回】DEATH~「死」とは何か~を読んで

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「死」が怖くなくなるような生き方

こんにちは、Dr. KKです。

今回は先日読んで興味深かった本書を深堀しつつご紹介したいと思います。

 

 

(1)基本情報

著者のシェリー・ケーガンはイェール大学教授で、道徳・哲学・倫理を専門としています。同大学で20年以上講義を行っており、「死」についてどう考えるか、死ぬとはどういうことなのかについて講義しているそうです。本書は講義内容をまとめたもので、発行部数累計12万部以上のベストセラーとなり、2018年には日本縮約版も出版されています。

 

なかなかセンシティブなテーマですが、人間が必ずいつか経験するものなので、一度立ち止まって真剣に考える事を提唱しています。

 

(2)要旨

本書は「死」とは何か、「死」がなぜ怖いのか、「死」をどのように捉え受け止めるべきなのか詳細に語られています。

「死」とは無意識が永続するものであり、睡眠や胎児期と大差がないと考える事で「死」に対する恐怖を幾分消化できると著者は考えているようです。

臨床的には、加齢に伴い死に対する恐怖心を持つ人間が減る傾向にありますが、それは既に現世でやり残したことのない人数が年齢に比例している事が影響していると思われます。

となると、我々は後悔の無いように「今を生きる」事が重要になる、という自明の結論に達します。

 

(3)「死ぬ」とはどういうことなのか?

著者は人間の機能を「人格」「身体」の2つに分類しています。

前者には人格、記憶、意識を含み、後者は臓器などを指しています。

 

著者はまず、

「死ぬとは意思決定が出来ない『人格』の喪失を指すか?」

と学生に問いかけます。

「人格」の喪失には脳死状態以外にも、物心のついていない小児・睡眠状態・失神状態も該当するため、「人格」の喪失は「死」の必要十分条件を満たしていないということになります。

一方、「身体」の喪失には、死亡確認を参照すると、呼吸・心拍・反射などの停止を意味し、「身体」を喪失した際は「人格」も喪失するため、より「死」に直接影響するのは「身体」の喪失であると結論づけています。

 

(4)死後の世界はどうなるのか?

我々は皆、「死」に対して恐怖を感じます。

それは、「死」が未知であると考え、自身の死後の世界を想像出来ないからです。

 

しかし、著者は、「自分の死んだ後の世界なんて殆ど変わらない、誰もが知る著名人が死んだ後も、我々の生活が変わらず進むように。」と述べています。

確かに、総理大臣が在職中に亡くなったとしても、日本政府や日本経済は殆ど影響せずに回るでしょう。

つまり、より影響力の少ない我々が亡くなろうと、世界は僅かな違和感を残しながら俯瞰してみれば、著変なく回っていくのです。

 

(5)「死」は果たして悪いことなのか?

次に「死ぬことは果たして悪いことなのか?」という問いを投げかけます。

この問いには「死なないことは良いことなのか?」を考えてみる、という背理法を用います。

 

仮に技術革新によって身体を乗り替えることが可能になり、1,000年以上生きられるようになった場合、

「その時の自分は今の自分と同じと言えるのか?」

という疑問が出ます。

つまり「身体」が停止しても、「人格」が存続する状態です。

確かに見た目も変わり、1,000年も経過した場合、記憶や興奮など喪失し、交友関係も様変わりしているでしょう。

となると、「死なないことは良いことと一概には言えない」と述べています。

よって「死ぬことは悪いことと一概には言えない」という結論に達します。

 

(6)自分の人格は死後どうなるのか?

著者は「死後も人格だけが魂として存続するとは考えにくい」とのことです。

もちろんここは人によって意見が異なるとは思いますが…。

 

やはり、意識や記憶を失う「人格」の喪失という状態を想像すると、もう居ても立っても居られないくらい怖いですが、(2)でも述べたように睡眠や胎児期と類似した状態と考えれば、そこまで嫌な印象を受けないのではないでしょうか?

 

つまり、「我々は既に『死』と類似した経験をしているとも言え、恐れるものではない」と結論づけています。

 

(7)なぜ「死」が怖いのか?

さらに著者は「『死』は未知のものではないと理解しても、それでもなお「死」が怖いのはなぜなのか?」という問いを投げかけます。

それは「『死』を剝奪説で説明できる」とのことです。

「死」が怖い第一の理由は、「もっと楽しい人生があったはずなのに、その未来を失った」と考えてしまうからです。

 

つまり、

「人生でやりたい事はやった」

「死んでも失うものがない」

「いつ死んでも良い」

と考えられるようになると、死が怖くなくなるということです。

やはり年齢に比例して色々な経験が出来るため、高齢者には死が怖くない人が多いようです。

 

(8)自殺について

結婚間もない時や、子供を授かった時、仕事が順調に行っている時は未来が楽しみであり、もっと長生きしたくなると思います。

一方で、世の中には未来に一切希望が持てない人も世の中にはいます。

このような人達が自殺を考えるようになります。

多くの人は「自殺は良くない」と言います。

僕も自殺企図した患者さんには「もう二度としないように!」

と言っています。

 

しかし、世の中には一縷の望みも残されていない人がいます。

ガンやALSで終末期を迎えており、ひたすら痛みや苦しみに耐えている人もいます。

この場合、色々な意見があるかと思いますが、死んだ方が楽になれる人も存在するということです。

となると、自殺企図している大半の人はこのような状況ではなく、

「仕事が辛い」

「生活が平坦で面白くない」

などで自殺しようとすることは間違っている、とのことです。

 

著者が自殺を推奨しないのは、

「自殺は回復する可能性を完全に絶つ行為だから」

と述べています。

 

(9)感想:「今」を生きる事の重要性

これは僕の持論ですが、大半の自殺は「今」を生きていないからこそ、人生が窮屈になり「死」を意識してしまうのだと思います。

つまり、

「仕事を辞めて自分の生きたいように生きる」

「自分の希望する刺激的な経験をする」

という選択を行えば、自殺を考える必要がなくなります。

 

しかし、世の中の人はこのように考えられる人は少ないように思います。

やはり、経済的自立が保障されていないことが原因ではないでしょうか?

経済的自立が確保された人は、経済的余裕だけでなく時間的・精神的余裕も生まれます。

 

FIREを達成した人は、その日何をするか自分で決めることができます。

そうなると、

「もう経験したい事は経験できた」

「もう死ぬことは怖くない」

という状態に達しやすいのではないでしょうか?

 

「老後にやりたい事をやれば間に合う」

と考えている方々も多いかと思いますが、本当にそうでしょうか?

僕は仕事柄、若くして亡くなる方の緩和ケアに従事する事もあります。

そういう患者さんを見る度に

「生きている事は決して当たり前じゃない」

「老後なんて訪れないかもしれない」

と考えてしまいます。

 

「今」を一生懸命生きる。「今」やりたい事を選ぶ。

「2030年にサイドFIREする」では実は遅いのかもしれません…。